聞かせて感じるだけではなく絵本で子どもをびっくりさせたい──あきびんご先生
「あきびんご」は第二の人生
編集長:先生は東京藝術大学を出てからずっと会社員をしていたと聞きましたが、何か絵本を書こうと思ったきっかけがあったのですか。
あき:僕は53歳まで公文教育研究会に勤務していたのですが、一方で絵の個展を開いたり、家で絵画教室をやったりしていました。59歳の時、絵画教室の生徒さんに「先生は来年還暦だけど、新しい名前や仕事は決めましたか?」と聞かれたんです。還暦になったら生まれ変わって第二の人生が始まるから、名前も職業も変えなくちゃいけないんですって。
編集長:そうなんですか!? 初めて聞きました。
あき:僕もびっくりして。でも、僕はそういう言い伝えは何か意味があると思ったんです。僕は最終的には美術に携わる仕事をしたいと思っていたので、「そうか還暦がチャンスなんだ、55では早すぎて65では遅すぎるんだ」と思いました。
ちょうどそのころ野見山先生(※1)の『ケムクジャーラ』という絵本作りをお手伝いすることがありました。そうしたら先生に「君、上手いねえ、絵本やったら?」と言われて、「はい、やります」と答えて、その日の夜に『したのどうぶつえん』のコンテを作って、翌日にはくもん出版に電話しました。「やる気の賞味期限は翌日まで」がモットーですから。「あきびんご」という名前は広島県尾道市の備後(びんご)に生まれ、広島市の安芸(あき)で育ったからです。
ストーリーは藝大に行っていたころ利用していた京成線の博物館動物園駅(※2)がヒントで「上に登れば上野動物園か、だったら下には下野動物園がないとおかしい」と考え付いて、いつか『不思議の国のアリス』のような児童文学にしたいと思っていました。それをギュギュッと凝縮して絵本にしてしまいました。それが日本絵本賞をいただいたので「次は…」と頼まれているうちにズルズルとこうなりました。
編集長:それで「あきびんご」として生まれ変わったのですね。
小さいころから絵を描くのがお好きだったのですか。
あき:絵や本は好きでしたね。幼いころに家の前の道路にしょっちゅう落書きをしていたと聞きました。でも、絵を描くことが特別に好きというわけではなくて、美術の道に進むなんて全然思っていませんでした。
ある時家で習字の宿題をしていたら、習字が上手な父が「ちびちび丁寧に書いていてもダメだ、細かいことはどうでもいい、腕でのびのび書け」と教えてくれたんです。それで、絵も腕でのびのび描いたら、展覧会で特選を取ったんですね。この体験がなければ、僕は絵に自信がなかったと思います。
※2 博物館動物園駅は、かつて上野公園内にあった駅。現在は駅舎とホームが現存。
読み聞かせから絵本を作れるところまで。それが考える力を育てるということ
編集長:『30000このすいか』のような奇想天外なお話はどうやって思いつくのですか。
あき:僕が聞きたいですねえ(笑)。金子みすゞさんの『大漁』の「鰯の大漁と喜んでるが、海の中では何万というお弔いだ」というふうに、相手の立場になってみるんですね。もし僕がすいかならみんなを扇動しますね。「およげ!たいやきくん」みたいに、海に逃げ込んでもいいんじゃないかと。
僕は教材を作る仕事を長年していましたから、絵本作家というよりは言葉遊びの教材職人として『したのどうぶつえん』や『あいうえおん』などを作りました。だから読み聞かせには向いていないんです。そうしたら、読み聞かせのできるストーリー性のあるものを作ってみて、と言われて『ゆうだち』を作りました。これはトリニダード・トバゴ(※3)の民話を自分なりに脚色して書いたんです。そうしたら今度は、ストーリーも全部自分で考えたらどんなのを作るか見たい、と言われて書いたのが『30000このすいか』なんですね。そうしたら、日本絵本賞の審査員の方々が、長新太みたいだ、すごく面白いと言ってくださって、こういうのをもっと書け、と言われて。ああそうか、こんなのでいいのかと思って(笑)。
僕は60歳で始めてまだ8年だし、絵本を出すのも2年に1冊とかなので、到底絵本作家だなんて言えないんですよね。でも、今回の受賞をきっかけに70歳には絵本作家と言えるようになろうかと、やっとまじめに勉強を始めたところです。
編集長:絵本の読み聞かせについてどう考えていらっしゃいますか。
あき:僕はどちらかというと読み聞かせ賛成論者ですが、世の中には、一方的に聞かせるだけというのはどうなのかという考えもあります。聞かせるだけよりも、一緒に読むとか、逆に子どもが読み聞かせをするでもいいし、さらにいえば、作ればいいと思うんです。
編集長:絵本を作る、ということですか。
あき:そう。これ、新潟県糸魚川市の保育園の子達が作った絵本です。上野動物園と『したのどうぶつえん』に出てくる駅を見たい、と卒園旅行で上野に来たという話をブログで見て、子ども達に絵ハガキを送ったんです。そこから交流が始まって、安曇野ちひろ美術館で原画展をやった時に、その保育園の子達とTシャツ作りなどのイベントをやりました。そうしたら、後日この絵本が送られてきたんです。原画を見て、これなら自分にもできると思って作ったんですって。3歳・4歳・5歳の3人でこれを作ったんですよ。【資料1】
編集長:すごいですね!
あき:すごいでしょ! 最後の売店のお土産や帯もちゃんと真似して作ってるんですよ。
僕は、ただ聞かせて感じるだけっていうのはあんまり好きじゃない。「感動」っていうのは、感じて動くから「感動」なの。だから、感じた後に「次は僕に読ませて」「俺にも作れるぜ」って動く、そういう子になってほしい。やっぱり、作れる面白さ、喜びって大きいですから、できたら作るところまで引っ張っていきたいと思います。よく「考える力を育てる」と言いますけど、応用問題だのツルカメ算だのよりも、こういうことが考える力を育てるのだと僕は思いますね。
子どもが「面白い」と思う発想、感覚を広げたい
あき:『あいうえおん』90種類の中で子どもに一番人気なのって何だと思われますか?
編集長:何でしょう。「あひるの あかちゃん あまえんぼう」とか、かわいいですけど。
あき:ところが一番は「ベンチで べんとうが べんきょう」。二番は「ゼリーに ぜんぶ ぜっけん」。いい感性してますよね。子どもの未来は明るいって思った。こういう発想が面白いと子どもは思ってるのだったら、その感覚をもっともっと広げていけるようなものを作りたいと思っています。
子どものころ、僕が絵本に興味を持ったのは『ちびくろサンボ』が最初なんだけれど、何にびっくりしたかって、虎が4頭ぐるぐる回ってバターになっちゃうところと、ホットケーキを169枚も食べるところ。なんだこれ、ウソつけ、と思った。でも、それが許されるんですよね、絵本って。だからすごい。こういう突拍子もない発想が僕にとっては衝撃で、こういうものとの出会いが好きだった。だから、僕もそういうものを提供したい。びっくりさせたいの。やっぱり、子どもの時にびっくりした体験て大きいんじゃないかな、と思います。
編集長:びっくりさせたい、いいですね。最後に、保育士を目指している方にメッセージをお願いします。
あき:僕も保育士さんと直接会うことがあって、本当に頑張っているのを見ているから、もう何も言えないですけど。
僕は、絵のバイエルみたいなものを作りたくて、絵の教材を作ったんですよ。【資料2】
この動物はほとんどみんな同じ顔なんですが、ちょっとした違いでこれだけ描き分けられるんです。
子どもがこれだけ描けたらすごいですよ。周りに褒められると子どもはますますやる気になります。僕も展覧会で特選をもらったから今こうしているわけで、認められるというのはすごい力になるんですね。
さっきの絵本を書いた子達にしても、彼らが特殊というわけではなく、こういうことができる子がたくさんいます。だから、端から園児にこんなことができるわけがないなどと思わずに、そのためにはどうすればいいか考えていってほしいと思います。
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あき びんご
1948年、広島県尾道市に生まれる。東京藝術大学日本画卒業。絵本制作をはじめ、絵画や染付の創作活動を行う。
また幼児教育の研究者でもあり、さまざまな教材・文具などの開発にも携わる。
主な著書に、『したのどうぶつえん』(第14回日本絵本賞受賞、第25回「よい絵本」選定)をはじめ、『したのすいぞくかん』『あいうえおん』『ぼくとかれんのかくれんぼ』『でてくるぞ でてくるぞ』『30000このすいか』(第21回日本絵本賞大賞受賞)『ねこだらけ』(以上、くもん出版)、『ゆうだち』(産経児童出版文化賞受賞 偕成社)などがある。