2019.04.15
MiRAKUU対談

完璧ってなんだろう。完璧じゃないことが完璧なんじゃないの? 完璧じゃないからこそいいんだよ。──セイン・カミュさん

完璧ってなんだろう。完璧じゃないことが完璧なんじゃないの? 完璧じゃないからこそいいんだよ。──セイン・カミュさん


芸能界の仕事上でパラリンアートに出会う

編集長:セインさんの子ども時代について教えてください。

セイン:僕はNY で生まれた後、おふくろに連れられて各国を転々としました。生後半年でバハマに、それからレバノン、エジプト、ギリシャ、日本、シンガポール、アメリカです。小学1~4年生と、中学・高校は日本にいました。

編集長:日本語も外国語も流暢なのが納得です。芸能界に入ったのはなぜですか?

セイン:シンガポールにいた小学5~6年生ぐらいから、学校の演劇などで人前に立って演じたり、拍手をもらったりするのがすごく心地良く、褒められるのも嬉しかったんです。それで、自分はこういうことをやると人を喜ばせられるし、楽しいし、やっていきたいと思うようになりました。
芸能界に入ったのは友達に誘われたのがきっかけです。友達が外国人を扱うエキストラの会社にいて、登録しにおいでよというのでオーディションを受けました。日本語が話せるということもあって採用され、すぐにNHK の「やさしい英会話」という番組のスキットを紹介するミニドラマでデビューしました。

編集長:そして芸能界で活躍されたと。障がいのある方への活動を始めたのはいつ頃からですか?

セイン:9年前ぐらいからですね。中小企業を応援する番組の収録に行った時に松永さん(パラリンアート創業者理事)と出会い、彼が集めているという障がい者が描いた絵を何点か見せてくださったんです。どこかで見た気がする絵だなと思ったら、僕の妹が描いた絵だったんですよ! もうびっくりです。それがきっかけで交遊が始まり、僕も妹の役に立つことができないかということで、理事としてパラリンアートに携わらせてもらっています。

編集長:すごい偶然ですね。妹さんのこともあって、障がい者を支援することに関心があったということですね。

セイン・カミュさん

セイン:それもありますが、おふくろがボランティア活動を盛んにやっていたんですよ。戦争が始まったレバノンでは難民キャンプができていたので、僕を連れてお手伝いに行っていましたし、日本でもマザーテレサの団体のお手伝いなどを積極的に行なっていました。その影響もありますね。

編集長:実際にパラリンアートとはどんな活動をしているのですか?

セイン:障がい者のアート活動を通して自分達の夢を叶えようというポリシーで、障がい者をサポートする活動のビジネスモデルを持っています。会社の会議室や玄関ホールに絵が飾ってあったりしますよね。ああいう感じで絵を飾ってくれる企業を探し、絵のレンタル料を受け取るというものです。レンタル料は経費を引いた後、作者と折半。障がい者である作者が収入を得る=納税者になることによって、社会の中にいる人として役割を果たすことになります。チャリティではなく、きちんとビジネスになっているのでお互いwin -win なんです。

何でもやらせて、できることを伸ばす

編集長:障がいがあっても活躍できる場を提供したいということでしょうか。

セイン:それも兼ねてますね。やはり、親として一番心配なのは「自分がいなくなった後この子はどうなるのか」ということです。そこでこういったビジネスモデルがあると、少なからず収入は得られます。社会福祉に頼るだけではなく、自力で何かできることがあるということで、そういう不安を解消してあげられるのかなと思っています。
自力での収入があるのとないのでは全然違うと思うんですね。一人で部屋を借りて自立というのは無理かもしれないけれど、家族の一員、社会の一員としてある程度役割を果たせるということは、自分の価値を高めることにもなりますし、健常者でも障がい者でも必要とされるというのは人として嬉しいことですよね。障がいがあるからと除けるのではなく、何ができるのか見極め、できることをやらせる、促し活用してあげたりすると、より一層豊かな社会になるんじゃないかなと思います。

編集長:これはすごい! と思った作品は
ありますか?

セイン:妹の作品をどうしても贔屓して見てしまいますけど(笑)。それを置いておけば、色いろなものがあって本当にすごいです。ダウン症で視力も弱いけれど、紙にぐっと近づいて1cm 角ずつ描きどんどん大きな絵にしていく子とか、迷路で絵ができているとか、すごく達筆な書を書く人もいます。普通のアーティスト以上の「ものの世界」が見えているのかな。彼らが見ているそういう世界が絵として現れた時、感動するし思うものが多々ありますね。
今、国語算数理科社会などの勉強と比べて、図工や音楽はあまり大事にされていないと感じます。それはものすごく残念なことだと思う。アートには国境がないし、言葉がなくても伝わるものがあるし、見る人や状態によって受け入れるものが変わる。そういうものってなかなかないと思うんですよ。子どもは枠にはまらず、一番制限がない中で表現することができる人達。学校などに行って色いろな子どもの絵を見ると感心します。だからこそ、もっと子ども達が絵を描いて、飾って、みんなが見たらいいなと思います。

編集長:お話を聞いて、小さい頃から、障がいがあるからといって区別や差別をせずに一緒に先生が見てあげられる環境を作ると、才能が育まれるのではないかと思ったのですが。

セイン:そうですね。おふくろがそうだったんですよ。妹は中学生から普通校のカリキュラムについていくのが難しくなり、ホームスクーリング(※)に移行しました。しかし、他の子と違うからやらせないということはなく、バレエやテコンドー、ピアノなど色いろなことをやらせていました。その中で、この子は絵が一番できそうだよねと言って、伸ばすようにしたんですね。それで今の妹があるわけです。何でもやらせてあげて、どんどん絞って突き詰めていくと結果が出るのかな、と思います。
それには忍耐力が必要ですし、先生という立場ではなかなか難しいかもしれません。けれども、ちょっと目を凝らして観察すると、この子は音楽が上手い、アートが上手い、かけっこが速い、想像力豊かでお話をするのが上手い、というのがわかる。それは健常者でも障がい者でも同じなので、少しでもいいから気を配って見出せるといいなと思います。そうすると、そこから新しいものが花開いて、素敵なことに繋がっていくのではないかな。

※ 学校に通学せず、家庭に拠点を置いて学習を行うこと。

子ども達を守り、生きる道を選べるようにできるお手伝いをしたい

セインさん自作曲「Perfect Imperfections(c)」
≪ セインさん自作曲「Perfect Imperfections(c)」

編集長:今後やっていきたい活動はありますか。

セイン:今少しずつ始めているのは、発展途上国の子ども達への支援です。魚を与えるのではなく釣りの仕方を教えるという考え方で、最終的に自分で自分の生きる道を選べるようにできるお手伝い的なものができればと考えています。
世の中でバランスがおかしくなっているものがたくさん出てきて、それに耐えきれなくなってきているんです。何かできることがあればやって、そのバランスを少しでも直していきたい。飢餓だけじゃなくて、児童性虐待や誘拐や子ども奴隷など、そういうことは撲滅しなければいけない。親として、子どもがいなくなることは考えられないし、きっと気が狂うでしょう。本当に無防備な子ども達をもっと守ってあげたいです。

編集長:読者の方にメッセージをお願いします。

セイン:僕の歌で、完璧ってなんだろう。完璧じゃないことが完璧なんじゃないの? 完璧じゃないからこそいいんだよ、という内容の歌があります。保育士さんは真面目な人が多いし、子どものモデルになるべきという想いから完璧でなければいけないと思ってしまうかもしれません。けれど、完璧じゃなくても、いや、完璧じゃないからこそ学ぶことができるし、レベルアップすることができるのだと思います。少し肩の力を抜いて、完璧であろうと歯を食いしばるのではなく、笑っていてください。

セイン・カミュ 経歴
  • セイン・カミュ


    両親の仕事の都合で世界各国を回り、6歳の時に初来日。バハマ、エジプト、ギリシャ、レバノン、シンガポールなど、広く世界を見てきた経験を持つ。エキストラ、モデルを経て、現在タレントとして活躍中。
    2男1女の父親として、男女参画子育て支援育児フォーラム基調講演などにも参加。(一社)障がい者自立推進機構の理事も務める。