崇高なる理念を持って夢と勇気と感動に溢れた世界一のサーカスに──木下唯志さん
辛い時期を越えて培った「物事を良くしていく力」
堀川:どんな幼少期を過ごされたのですか?
木下:岡山で生まれて、高校までずっと岡山市内で育ちました。父も母もサーカスで全国を回っているので、小学生の頃はお手伝いさんに育てられました。サーカスが岡山に戻ってきた時には、お手伝いで舞台に出たこともありましたね。
高校2年の時に、サーカスが海外に行くからと、3か月間休学しました。ところが、出航する前日にキャンセルになってしまい、そのまま3か月間サーカスで研修をしました。復学する前に父の勧めで1週間1人で契約先の海外に行かされ、英語は非常に大切だと痛感しました。
大学は明治大学で、体育会の剣道部に入部しました。未経験の初心者でしたし、すごく厳しかったし、2年生の時に、足に怪我をして退部しようと考えたこともありましたが、早朝の自主練を続け足も完治して、3年生の時に剣道三段を取得し最後までやり通せました。これは非常に良い経験でしたね。
堀川:大学を出てすぐサーカスに入ったのですか?
木下:はい。大学卒業直前に1か月間ヨーロッパへ行き、名だたる都市のサーカスを見て、すごく感動して日本
に戻りました。木下サーカスを世界一のサーカスにしようと思いました。
当初空中ブランコの舞台に出ていたのですが、空中落下に失敗して、それから3年間は闘病生活。非常に辛い時期でしたが、奈良の信貴山(しぎさん)断食修行道場に行って、感謝の心を学び少しずつ回復することができました。
堀川:社長になられたのはその後?
木下:兄が社長でしたが、44歳で急逝し、社長を継ぐことになりました。実はこの時、約10億円の負債があったんですね。税理士の先生も副社長の姉も、このまま続けても毎年1億2億の赤字になってしまうから、早めにサーカスをやめたほうがいいのではないかと話していました。
堀川:そんなに負債があったのですか。
木下:そうなんです。しかし私は、剣道部時代と怪我の後の断食修行時代を通して、物事を良くしていくということを少しずつ学んでいたので、諦めずに、約10年間で約10億円を返済しました。
堀川:大変だったのですね。
木下:父から一場所、二根、三ネタと教わりました。物事をやるためには、まず場所が一番大事。次に根、根気、プロモーション。そして3番目はネタ、内容です。この3つをしっかりすると繁栄するということを心に置いてやりましたね。
京セラの稲森さんが、日本航空を見事に立て直されたのを覚えていますか。稲森さんの書物を読んで驚いたのは、経営の判断基準を「利他の心」にしているところでした。自分のため、自社のためではなくて、人のため。人の会社が良くなることを思って経営するんだということを知って驚いたんです。そうやって立て直されたんですね。
Help each other、Respect eachother. お互いの協力や精神的なことって大事だと思うんです。ですから、稲森さんや、稲森さんが尊敬する松下幸之助さんの色いろな言葉を、団員達にも伝えています。
サーカスは良い意味での刺激、非日常的な空間
堀川:動物に芸を覚えてもらうのは大変ではないのですか?
木下:大変ですよ。ただ、象さんの場合は、今輸入できないんです。タイで調教してもらった象さんを招聘しています。今はラオスに共同で象さんのファームを作って、そこで調教しています。
堀川:どうやって運ぶのですか?
木下:飛行機です。飛行機はチャーターしなきゃいけないので、片道3,000万円。象さんの特別なシートベルトも必要ですから。
堀川:へえ!
木下:冗談ですけど(笑)。檻ですよ。
堀川::(笑)。でもその檻も特注ですよね。
サーカスをしていて、一番嬉しかったことは何ですか?
木下:福祉関係で招待することがあるので、ハンディキャップを負われている方々がいらっしゃるんですね。そこで、たとえば歩けない10代の子が、サーカスの綱渡りを見て、バランスを取れれば歩けるかもしれないと考え、園に戻って廊下に線を引き歩く練習をして歩けるようになったという話。あるいは、初期の認知症の方がサーカスを見て、症状が良くなったという話。そういう話を聞くと嬉しいですね。
モンテカルロで、20歳くらいの子が棒上の回転に挑戦するのを見たことがあります。これは3回転するのも難しい技なんですが、4回転に挑戦するんですね。1回目2回目と失敗し、3回目も失敗したところで5,000人の大観衆がスタンディングオベーションです。それは、彼女の挑戦する勇気に対する絶賛の拍手なんですね。これがサーカスなんだと思いました。サーカスがなぜこうして何千年の歴史があって生き延びているのかというのは、こういうことなんだなと感じましたね。
木下サーカスは、夢と勇気と感動に溢れたサーカス、みんなが協力しながらやっていく温かい雰囲気を持った、挑戦する勇気に満ち溢れた、キラキラと光る舞台をお届けするサーカスです。子どもの頃に見たものって、ものすごく印象に残るんです。子ども達の夢を育むために。大人達の挑戦する勇気を見せるために。木下サーカスをぜひ見ていただきたいと思います。
限られた生の中で、人を、教育を遺す
堀川:読者の方にメッセージをお願いします。
木下:中学の頃から、人間はなぜ生きているのかという疑問をずっと持っていたのですが、20歳の頃に内村鑑三さんの『後世への最大遺物』という本に巡り合いました。色いろな生き方があるけれども、誇り高い人生を遺そうと思えば誰でもできるということでした。限られた生をただ生きるだけではなく、何を遺すのか。最終的に、私は教育だと思いました。人を遺すことであり教育であると。
今、叱ることが難しくなっていると思います。しかし、良くないことは良くないとはっきりと言わないといけない。そういう、本当の意味での教育ができるような環境を作っていくことが大切です。
稲森さんは社員の幸福のために会社を運営するのだとおっしゃっています。保育園の経営も同じではないでしょうか。お金の部分もあれば、労働時間の環境もあり、色いろな中でストレスを重ねていくわけですから大変だと思います。ですが、基本的には人間関係、これをどのように良くしていくのかだと思います。崇高なる理念を持った先生がトップにいることによって物事がものすごく変わってくると思うんです。
(MiRAKUU vol.41掲載)
- 木下唯志(きのした ただし)
1950年2月25日 岡山市生まれ。木下サーカス株式会社 代表取締役社長。木下興産株式会社 代表取締役社長。
1974年 明治大学経営学部卒業、木下サーカス株式会社入社。1990年 4代目社長に就任。2006年 日本仮設興行協同組合 理事長に就任。2011年 モンテカルロ国際サーカスフェスティバルの審査員に日本人として初めて選出される。2015年 モナコのステファニー王女より、世界サーカス連盟のAmbassadeur du Cirque 2015に任命され、世界で6人目の特別大使となる。